木曜日、朝から雑用で外に出る、天気が悪く小雨が雪に変わる。
友人
Tの家へ、ベルリン在住の友人が週末を利用して
ブダペストに遊びにきているので会いに行く。雪は降り続く。
夜、スピノザと言うカフェ・レストランへ。
スピノザには小さな劇場もあり、コンサートなども開かれる。
今夜は出版記念のイヴェント、同居人
Bのバンドが演奏する。
出版されたのはイスラエルのジャーナリスト2人が書いたノンフィクション、
戦前、ルーマニア、マラムレシュ地方のロザヴレアと言う小さな村に
住んでいたユダヤ人家族の話。
敬虔なユダヤ教徒だったOvitz(オヴィッツ)家、
10人の子どものうち7人が小人症で身長が1m足らずだった。
両親は子ども達がお互いを助け合いながら一緒に生きていく事を願った。
子ども達は成人して劇団『リリパット座』を結成、
普通の身長に育った兄弟が裏方に回り、7人の小さな役者を支えた。
彼らの人気は徐々に広まり、マラムレシュだけでなく、
ルーマニア国内を公演して周り、さらにハンガリーや
チェコスロヴァキアなど近隣諸国でも公演し人気を集めた。
1944年、マラムレシュのユダヤ人はアウシュヴィッツへと送られる。
その中にはOvitz家も含まれていた。収容所で人体実験を繰り返していた
ヨーゼフ・メンゲレは7人の小人を持つこの大家族に目をとめた。
双子など遺伝学に異常な執着を持っていたこの悪魔のような医者は
Ovitz家の遺伝情報に強い興味を持ち、大切な研究材料として隔離し、
健康を保つために彼らを優遇した。Ovitz家と血縁関係にあるユダヤ人も
同様に研究の対象となり、ガス室に送られる事はなかった。
その状況を知ったOvitz家は、収容所に送られた友人たちも
自分の親戚だと偽り、彼らの命を救った。
1945年、収容所はソ連軍によって解放された。
Ovitz家は1人も欠けることなくアウシュヴィッツから生還し、
そして、後にイスラエルへと移住した。
2000年、同居人
Bのユダヤ音楽のリサーチに同行した際、
村人とのおしゃべりで、わたし達はリリパット座の事を知った。
ユダヤ人の小人の劇団?あまりにも突飛な話に驚いて、
その後訪れた村々で老人を呼び止めては当時の話を聞いた。
どの老人も目を細めて頭の中で時代を遡る、少々時間はかかるが、
その思い出に辿り着くとパッと顔が明るくなり、
『あ〜、本当におもしろいショーだったよ!』
と、子ども時代の記憶を懐かしがって笑みを浮かべた。
役場などで当時の記録を探したが、残念な事に戦前のドキュメントは
悉く破壊されていて、写真一枚すら目にする事が無かった。
同じ頃、この本の著者となるイスラエル人ジャーナリストの2人が
やはりユダヤ人の小人の劇団をリサーチをしていると耳にしていた。
7人の小人のうち、ひとりがまだイスラエルで生きている事は
村人に聞いて知っていた。でも、イスラエルまで行く事は出来ないので
その2人のリサーチの結果を見るのをとても楽しみにしていた。
そして、昨年彼らの本が出版された。タイトルは
「In Our Hearts We Were Giants(心の中でわたし達は巨人だった)」
その表紙を見て息を飲んだ、美しく着飾った7人の写真だった。
パラパラっとページをめくると、中にもさらに写真があって、
やっと彼らの姿を忠実に思い浮かべる事を嬉しく思った。
昨年秋、マラムレシュに行った際、この本を持って
村の老人達に写真を見せ、思い出話を聞いた。
そして、ロザヴレアに寄って、Ovitz家が住んだ家のあった場所を訪ねた。
家の隣の空き地、ここにはかつてシナゴーグ(ユダヤ教会)があった。
村の裏手には川が流れている。
その川向こうにユダヤ人墓地があると聞いたので足を運んだ。
ハンガリー語訳の本の出版記念、著者の2人もブダペストに来ていて、
初めて会う事が出来た。Ovitz家、リリパット座、ロザヴレア、
マラムレシュで聞いた事、見た事、感じた事など話は尽きない。
2人の著書についてはテレビ番組も制作され、近々放映される予定、
同居人
Bは音楽を担当している。出版記念のイヴェントでも
Bのバンドの演奏が場を飾った。それは、マラムレシュにユダヤ人が
住んでいた頃、ユダヤ人のために演奏されていたメロディー、
ヴァイオリンの音が運ぶのは、マラムレシュの澄んだ空気と
そこに残された歴史、そして記憶。