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東欧の街角から日々の徒然
プリム
火曜日はプリム(プーリム)と呼ばれるユダヤの祭日だった。
紀元前、ペルシャに住むユダヤ人を全滅させる計画が企てられたが、
ユダヤ人だった王妃エステルが王に直訴し、ユダヤ人の危機を
救ったと言う旧約聖書の話に基づいている。

東駅へと続く大通りにあるシナゴーグへ。
階段を上り、ドアを開けるととまず礼拝堂がある。
手前側は女性席、そしてついたての向こうは男性席。

プリム

礼拝堂の隣には礼拝堂と同じくらいの広さの部屋があり
プリム・パーティーの会場となる。近所に住むユダヤ人が集まり、
ラバイ(ユダヤ教の指導者・教師)の言葉でパーティーが始まる。

プリム

子ども達が歌う。

プリム

そして、同居人のバンドの演奏、
ラバイ自ら立ち上がって人々を踊りに誘う。

プリム

プリム

男女分かれて踊りの輪が出来上がる。

プリム

そして、お菓子やワインが配られる。

プリム

ユダヤ人が絶滅の危機を免れた事を祝うプリムは、
ユダヤの宗教行事の中でも楽しい祭日のひとつ。
みんなで飲んで踊って笑顔で『生』を祝福する。

プリム

音楽に合わせてラバイが座っている人々に声をかける、
『今日はプリム、パーティーだよ、踊らなきゃ!』

プリム
| 東欧ユダヤ | 19:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
コンサート
月曜日の夜、コンサートを見に行った。
イスラエルとハンガリーのカルチャー・デイとして、
イスラエルからのバンド、ハンガリーからムジカーシュ(Muzsikás)
そしてアメリカからクレズマティックス(Klezmatics)が演奏する。

クレズマティックスのフランク・ロンドンは
同居人の長年の友人だ。お互い、クレズマーと呼ばれる
ユダヤの民俗音楽を演奏するミュージシャン仲間でもある、

午後、我が家から歩いて15分のところにあるコンサート会場へ。
クレズマティックスのサウンドチェックが始まった。
ムジカーシュのメンバーも会場に到着、挨拶を交わし雑談、
ひょんな事から今夜のコンサートの写真をとってくれるよう頼まれた。

コンサートまで時間があるのでフランクを家に誘った。
とフランクは、音楽について、共通の知り合いミュージシャンについて、
ニューヨークについて、ハンガリーについて、話が尽きる事が無い。

夜、8時に会場へ。そして、ムジカーシュの演奏が始まる。

ムジカーシュ

ムジカーシュ

ムジカーシュ

ムジカーシュ

ハンガリーの民俗音楽を代表する彼らのステージ、
今夜は最初にマラムレシュ地方のユダヤのメロディーが披露された。

そして、シェベスチェーン・マールタ(Sebestyén Márta)の登場。

シェベシュチェーン・マールタ

ムジカーシュと同じくハンガリーを代表するシンガーの彼女、
彼女の透明感溢れる歌声は映画『イングリッシュ・ペイシェント』で
世界的に有名になった。日本にも今まで12回行った事があると言う、
初めて会った時には『ぼうや、よい子だ〜』と日本の子守唄を
歌ってくれ、その清らかな歌声にうっとりしてしまった、まさに歌姫。

Márta Sebestyén

そして、演奏は続く。

ムジカーシュ

ムジカーシュ

ムジカーシュ

ムジカーシュ

ムジカーシュ

ムジカーシュ

ムジカーシュの後に登場したのがクレズマティックス。
クレズマー音楽界の大御所バンドのひとつ、
今月、ニューヨークでバンド結成20周年のコンサートがあったばかり。

Klezmatics

いつもながら、パワフルな演奏が繰り広げられる。

Klezmatics

Klezmatics

Klezmatics

Klezmatics

Klezmatics

Klezmatics

Klezmatics

Klezmatics

Klezmatics

Klezmatics

Klezmatics
| 東欧ユダヤ | 20:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
リリパット座
木曜日、朝から雑用で外に出る、天気が悪く小雨が雪に変わる。

雪

友人の家へ、ベルリン在住の友人が週末を利用して
ブダペストに遊びにきているので会いに行く。雪は降り続く。

雪

夜、スピノザと言うカフェ・レストランへ。

スピノザ

スピノザには小さな劇場もあり、コンサートなども開かれる。
今夜は出版記念のイヴェント、同居人のバンドが演奏する。
出版されたのはイスラエルのジャーナリスト2人が書いたノンフィクション、
戦前、ルーマニア、マラムレシュ地方のロザヴレアと言う小さな村に
住んでいたユダヤ人家族の話。

本

敬虔なユダヤ教徒だったOvitz(オヴィッツ)家、
10人の子どものうち7人が小人症で身長が1m足らずだった。
両親は子ども達がお互いを助け合いながら一緒に生きていく事を願った。
子ども達は成人して劇団『リリパット座』を結成、
普通の身長に育った兄弟が裏方に回り、7人の小さな役者を支えた。
彼らの人気は徐々に広まり、マラムレシュだけでなく、
ルーマニア国内を公演して周り、さらにハンガリーや
チェコスロヴァキアなど近隣諸国でも公演し人気を集めた。

1944年、マラムレシュのユダヤ人はアウシュヴィッツへと送られる。
その中にはOvitz家も含まれていた。収容所で人体実験を繰り返していた
ヨーゼフ・メンゲレは7人の小人を持つこの大家族に目をとめた。
双子など遺伝学に異常な執着を持っていたこの悪魔のような医者は
Ovitz家の遺伝情報に強い興味を持ち、大切な研究材料として隔離し、
健康を保つために彼らを優遇した。Ovitz家と血縁関係にあるユダヤ人も
同様に研究の対象となり、ガス室に送られる事はなかった。
その状況を知ったOvitz家は、収容所に送られた友人たちも
自分の親戚だと偽り、彼らの命を救った。

1945年、収容所はソ連軍によって解放された。
Ovitz家は1人も欠けることなくアウシュヴィッツから生還し、
そして、後にイスラエルへと移住した。

2000年、同居人のユダヤ音楽のリサーチに同行した際、
村人とのおしゃべりで、わたし達はリリパット座の事を知った。
ユダヤ人の小人の劇団?あまりにも突飛な話に驚いて、
その後訪れた村々で老人を呼び止めては当時の話を聞いた。

どの老人も目を細めて頭の中で時代を遡る、少々時間はかかるが、
その思い出に辿り着くとパッと顔が明るくなり、
『あ〜、本当におもしろいショーだったよ!』
と、子ども時代の記憶を懐かしがって笑みを浮かべた。

役場などで当時の記録を探したが、残念な事に戦前のドキュメントは
悉く破壊されていて、写真一枚すら目にする事が無かった。

同じ頃、この本の著者となるイスラエル人ジャーナリストの2人が
やはりユダヤ人の小人の劇団をリサーチをしていると耳にしていた。
7人の小人のうち、ひとりがまだイスラエルで生きている事は
村人に聞いて知っていた。でも、イスラエルまで行く事は出来ないので
その2人のリサーチの結果を見るのをとても楽しみにしていた。

そして、昨年彼らの本が出版された。タイトルは
「In Our Hearts We Were Giants(心の中でわたし達は巨人だった)」
その表紙を見て息を飲んだ、美しく着飾った7人の写真だった。
パラパラっとページをめくると、中にもさらに写真があって、
やっと彼らの姿を忠実に思い浮かべる事を嬉しく思った。

昨年秋、マラムレシュに行った際、この本を持って
村の老人達に写真を見せ、思い出話を聞いた。

ニコラエ

そして、ロザヴレアに寄って、Ovitz家が住んだ家のあった場所を訪ねた。

ロザヴレア

家の隣の空き地、ここにはかつてシナゴーグ(ユダヤ教会)があった。

ロザヴレア

村の裏手には川が流れている。
その川向こうにユダヤ人墓地があると聞いたので足を運んだ。

ロザヴレア

ロザヴレア

ハンガリー語訳の本の出版記念、著者の2人もブダペストに来ていて、
初めて会う事が出来た。Ovitz家、リリパット座、ロザヴレア、
マラムレシュで聞いた事、見た事、感じた事など話は尽きない。
2人の著書についてはテレビ番組も制作され、近々放映される予定、
同居人は音楽を担当している。出版記念のイヴェントでも
のバンドの演奏が場を飾った。それは、マラムレシュにユダヤ人が
住んでいた頃、ユダヤ人のために演奏されていたメロディー、
ヴァイオリンの音が運ぶのは、マラムレシュの澄んだ空気と
そこに残された歴史、そして記憶。

ロザヴレア
| 東欧ユダヤ | 23:41 | comments(10) | trackbacks(0) | pookmark |
ブダペストのユダヤ人街
ブダペストの7区にはユダヤ人居住区(ゲットー)があった。
第二次世界大戦後、その人口は激減したが、今でも7区には
ブダペストに住むユダヤ人のコミュニティーがある。

東欧では、チェコ共和国の首都プラハのユダヤ人街、
ポーランドのクラコフ、カジミエッシュ地区(旧ユダヤ人街)が
在りし日のユダヤの文化の象徴として観光客を集めているが、
そこに、実際に住むユダヤ人は少なく、
現在進行形の生活感は感じられない。

ブダペストには大シナゴーグ(ユダヤ教会)、
そして、近年オープンしたホロコースト記念館以外、
ユダヤ文化に関する目立った観光地は無い。
それは、大シナゴーグの裏に広がるユダヤ人居住区に、
今でもハンガリー系ユダヤ人の生活があるからだろう。

大シナゴーグの裏、歩いて数分のところに、
オーソドックス派ユダヤ人の集まるシナゴーグがある。
敷地内にはコーシェル(ユダヤの戒律に沿った食品)を提供する
レストランと肉屋がある。

コーシェルを守るユダヤ人は豚肉を食べない。
店先にぶら下がっているのは牛肉のサラミ。

コーシャル肉屋

ブダペストでは通常、肉屋は月曜日が休業となる。
その月曜日に開業しているコーシェルの肉屋、
ハンガリー人とは異なったカレンダーで生活している。

このコーシェル肉屋で売っている牛肉のソーセージを買いに行く。
店に入った途端にメガネが水蒸気で曇った、
奥で何か調理しているらしい。ソーセージがあるかと聞くと、
今作っているところなので20分後に来いとの事、

近所のケーキ屋で時間をつぶす。

フロゥリッヒ

肉屋と同じ通りにあるこのケーキ屋もコーシェル、
豚はコーシェルではないので、牛から作られるゼラチンが使われる。
また、コーシェルの規定では肉と乳製品は共に食せないので
ケーキにマーガリンなど植物性の油を使用している事も多い。
このケーキ屋は乳製品を使用しているので、
肉料理の後のデザートにはならない。

ベルリナー

フロウドニと呼ばれるこのケーキは伝統的なユダヤの味。
上から胡桃、芥子の実、リンゴの3段重ね、
甘さもちょうど良く、豪華な一品、美味。

フロードニ

肉屋に戻ると、肉屋のあるシナゴーグの入り口で
知り合いが立ち話をしていた、しばしそこに混ざっておしゃべり。
そのひとりは大きなおなかを抱えている、春に新しい命が生まれる。
同居人(バイオリン弾き)は、彼らのユダヤ式の結婚式で
伝統的なユダヤの音楽を演奏をした。

ブダペストには歴史に翻弄されながらも
この地に受け継がれるユダヤの文化がある。
| 東欧ユダヤ | 08:19 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ハヌカ
クリスマス休暇終わった27日の火曜日、
いきなりブダペストに雪が降った。
またちょっと冷え込んでいる。

25日の夜、同居人の演奏があるのでと言うバーへ。
ここでハヌカ・パーティーが開かれる。

ハヌカとは12月にあるユダヤ教のお祭り。
ユダヤ教ではクリスマスを祝わない。
その代わりに、ユダヤ教の子ども達は
ハヌカを心待ちにする。

ユダヤ教のカレンダーで決められるこの祭日、
いつもはクリスマスより少し早めになるのだけど、
今年はめずらしくクリスマスと同時期、25日から8日間、
一本ずつキャンドルに火を灯して祝う、光の祭りだ。

キリスト教がが大部分を占めるハンガリー、
25日、クリスマスの夜にユダヤのお祭りを祝う
イヴェントを開いてどれくらい人が集まるのか
わたしには予想がつかなかった。

9時過ぎには工場跡地を利用した巨大なスペースが
満杯となる。集まる人々の間では『メリー・クリスマス』
と言う言葉は聞こえてこない。

ハヌカ

翌日の26日、同居人は二ヵ所で行われる
子供向けのハヌカ・パーティーの演奏で大忙し。

一軒目、オペラ座の近くのユダヤ教のカルチャーセンター、
子ども達向けにハヌカのお祭りの意味を寸劇で教えている。

ハヌカ

そして締めくくりはみんなで輪になってダンス!

ハヌカ

もう一軒、オーソドックスのシナゴーグでは
一日中、ハヌカを祝うイヴェントがあった。
中庭ではホットドックや豆の揚げ物、ファラファルの
サンドウィッチが訪れる人にどんどん配られる。
もちろんすべてコーシャー(ユダヤの戒律にそった食品)だ。

日が暮れた頃、中庭で光にちなんで
火を使ったアクロバットなパフォーマンス、
集まった子ども達は息を飲んで見守っていた。

ハヌカ

そして建物の中に移動して同居人のバンドの演奏。
子ども達が興味津々で集まってくる。

ハヌカ

そしてダンス!



ハヌカ

第2次世界大戦前、ブダペストには20万人以上の
ユダヤ人が住んでいた。現在約8万人、悲惨な戦争の
歴史を乗り越え、今でもその文化は次の世代に受け継がれている。

クリスマスながらどっぷりユダヤ文化に触れた2日間、
伝統の中に生きる、明るい子ども達の姿を見て心が熱くなった。

ハヌカ
| 東欧ユダヤ | 22:13 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
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